みかわクスノキ鉄道
◆みかわクスノキ鉄道が開業するまで
東海鉄道から三河鉄道、
そしてみかわクスノキ鉄道になるまで
2011/7/6東海鉄道・安城ー碧南間が開業しました。開業当初は116系が走っており、さらに特急も走っていました。当時碧南駅には引込線があり、そこによく特急型車両が留置されていました。
ちなみに、現在本鉄道線の一部となっている、知立ー安城間はそれより前の2011/6/28に東海鉄道の路線として開業しておりますが、遍歴としてはあまり面白くないため本編では省略します
2011/9/19からは116系から206系・211系に運用が代わります。これが東海鉄道としての最後の運用車両となります。基本的に西尾線(当時の名称)は、他の線区から古い車両を転用し使用されていたため、一回り世代の古い車両たちが活躍していました。
2012/5/18、刈谷から西尾までを一直線に結ぶ高速線の建設に伴い、高速線の開業を待たずに東海鉄道安城ー碧南間は三河鉄道として再出発をはたします。 高速線は動力集中方式の機関車とむ動力客車を使用した300km/hの運転が予定されていましたが、地元民の反発から通勤路線へとなり下がり、結局は在来特急車が他より早い160km/hで運転する路線へと形を変えました。
ちなみに、高速線の開業を待たずして三河鉄道に払い下げられた理由として利益確保の為というのがあります。また、開業当初は7200系という東海鉄道時代の車両より一回り古いものが使われていました。
三河鉄道は7200系の置き換え用にN150形を新製投入し、周りの中小私鉄を次々と吸収し、準大手私鉄にまで成長しました。しかし、この吸収と設備投資こそ後に会社自体を解体する悲劇を招きます
過剰な設備投資による赤字は全線に及びました。起死回生の策として東海鉄道知立ー安城の編入を試み、それ用の新型車両N170系を増備しますが、東海鉄道側の拒否により、この計画は頓挫します。
拒否した理由として、通勤路線であり、当時岡崎への接続路線であったこと(これはみかわクスノキ鉄道開業前に解消されます。)、また区間内に内幸車両製作所という東地区の製造工場があり、自走での出場であることから他鉄道へ払い下げることができない、などの理由です。
三河鉄道はその後も策を講じますが、決定打とならず、2014年5月22日、同年11月22日より本線であった安城ー碧南間は新会社のみかわクスノキ鉄道として再スタートをきることになりました。
なぜ11月22日であるかと言うと、三河新幹線の開業がその日であり、そこに合わせた、というのが理由です。
2014/11/22、みかわクスノキ鉄道は安城ー碧南間で開業しました。当初はMK125形は虹と三河の海をイメージした塗装でした。ちなみにMK125・MK121は元々瀬戸地区で活躍しており、E121系に置き換えられる形で当鉄道にやってきました。
後に木田鉄道からも同仕様で作られたCT100形がMK125形に編入され活躍します。
2015/1/22、東海鉄道から中央線、知立ー安城間が編入され、現在の本線の形ができあがります。
三河鉄道時代に問題になっていた2つは、他路線が岡崎へ接続をしたこと、内幸車両製作所は、知立ー内幸間は東海鉄道の車両が車両使用料を支払った上、入線させることで合意し、少し遅れる形で当鉄道に編入されました。